2013.04.13 Saturday by emix
いよいよ、かねてから計画があたためられていた おともだちの「独立電源の家づくり」がはじまりました。 http://ameblo.jp/ae96/entry-11229612507.html 3/11のあの災害の後、 エネルギーのことを、私はあらためて 真剣に考えるようになりました。 前もって言っておきますが、 私は電気が悪だと言いたいわけではありません。 むしろ、恩恵を感じることが多いです。 もし電気がなかったら、できなかった・実現しなかった すばらしいものごとたちに囲まれて生きています。 ただ、 あの地震と津波のような、大規模な災害のときに、 生活をとりまく道具たちの多くが電気制御という 手動操作での代替が効かないもの「だらけ」に なっているという状態は、 「便利、不便」という効率の尺度ではなく、 「生存できるかどうか」という判断基準の上で、 大きな問題があると感じました。 たとえば、暖房であれば、 一般的なファンヒーターだけのおうちのかたは、 ボタンを反応させる電気が通じていなかったら、 灯油がたっぷりあっても、暖をとれません。 ガスストーブ、石油ストーブのあるおうちのかたは、 電気が来ない中でも、ガスや灯油のストックがあり 火口に着火さえできれば、暖まることができます。 薪ストーブのあるおうちのかた、 かまどが残っているおうちのかたは 「灯油以外の燃料で暖をとれる」です。 ……「便利」を批判するわけではなく、 「便利」と言われているものたちはただ、 「平常時は最高にコスパがよいが、そちらに照準したぶん、 イレギュラーやカスタマイズに対しては柔軟性がない」 という側面を併せ持つのだと思います。 逆に「不便」といわれているものは、 効率性、即応性といった機能面だけで対比すれば、 当然「平常時」にフォーカスしたものには劣ります。 しかし、制御の塩梅が人間の手にゆだねられており、 おおむね構造が単純です。 そんな、構造がわかりやすい、見えているという透明性から、 応用のできる余地が残されています。 地震の災害から逃れ、津波の災害も逃れたかたがたが、 あの寒い時期に、すべてのライフラインが止まり、 さらに、交通も寸断されてしまい…… その結果、灯油や燃料となる木々があるにもかかわらず、 暖をとる手段を見いだせずに凍死されたというニュースは、 「これは、しかたないことなんかではない」と とてもかなしくくやしく、心がいたみました。 そして危機感を感じました。 「便利」は「万能」ではない。 そして「不便さ」を生活に残すことは、 趣味や酔狂ではなく、 ひとつのたしかな「生存の知恵」だと思いました。 --- また、便利だからという理由で、 あらゆるもの……灯りも、暖房も、動力も、 電気をエネルギー源とするようになっています。 その結果「電気がたくさん必要」という構造になりました。 つまり「自家発電ではそうそうまかなえない」量に。 話しだせばたいへん長くなるので割愛しますが、 各家庭が欲するその電気量を賄い出すために わたしたちは、さまざまな形で自然の資源をハイペースで費やさせています。 いつまでも続けられることではありません。 ただ、このことは、逆に言えば、 「エネルギー源を何らかの形で分散すれば、 自家発電の電力量でまかなうことができる」という ことをも、示唆しています。 そして、 「エネルギー源を何らかの形で分散する」ことは、 冒頭の「不便なものをあえて暮らしに取り入れる」ことと 重ねることができます。 たとえば、エアコンの暖房をやめ、 薪ストーブを家庭の暖房としてとりいれることです。 生活に必要な電気量も抑え、 ライフラインも複数になります。 自然と共存しながら、 電気というすばらしいエネルギーと 長く、つきあっていく方法…… その答えのひとつが、 「自分の家で電気をまかなえる、独立電源の家」 なのではないかと思います。 ……すべてを説明しようとすると たいへんな長さになってしまうので、 この「里山と結びついた家づくり」の 進行に合わせて、少しずつ解説をこころみたいと思います。 ご興味のあるかたは、ぜひおつきあいください。 コメント
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