<< カテゴリーをひとつ、ふやしてみました MAIN 民映研記録映画『越後奥三面 山に生かされた日々』感想。 >>
シカさんを、ほふりました。(1)
「食うために、殺す」……いつかやらねば、と思っていたのですが、
その日は急に訪れました。

日曜の朝、いつものところから電話が鳴って
「シカとれたで。シメるなら来るか」とのこと。
日曜日だし、いいタイミングかも、と、
前から、屠殺から真剣にやってみたい、と言っていた
友人Sちゃん(♀)&Sさん(♂)に連絡。
奇跡的なタイミングの合いようで、二人とも参加できました。
そして、それぞれの子どもたちも参加。
ちょっとヘビーな食育イベント、子どもたちはどう見るか。

ということで、その日の午後に、決行。
(あまり大人数になっては難しいのと、急だったので
限られた範囲でのご連絡になりました。
声かけできなかったかた、ごめんなさい)

※ちょっと生々しいのと、
なんか公開するべきものじゃないような気がするので
写真はナシでお送りします。
見たいかたは、個別に連絡ください。
そんなわけで、生々しい写真はありませんが、
生々しい文章表現は、たくさんあります。
そういうので気分を害するかたは、ここまででお願いします。
また、今回は大いに感想を含めているため、
私見も多く、妙に長いです。ごかんべんください。

出口

------

シカは、檻のわなに入ってました。
近づくと、逃げようと暴れて、檻に体当たりをくりかえす。
いちど、シシをシメるのを見ていた(その1その2)けれど、
このときと同じような気持ちになる。
でも、前回は「自分はシメない。シメるのを見ている」だったけど、
今回は「自分たちでシメる。当事者としてやる」だったぶん、
少し、感傷的なものは少なかった。
……いや、あえて、感傷的な気持ちを持たないようにしてたのかも。

シメる手順も、シシのときとだいたい一緒。
前足にワイヤーをかけて引っ張り、檻にはりつけて
動きを止め、頸動脈を槍で突く。

「やらねばならない」と思ってはいながらも、どこかで思いっきり
「やらずに済む理由はないか」と探している自分がいた。
また、「○○という、やるべき理由はないか」と、
やる理由のほうも探している自分も。

じっさい、一番槍は、逃げました。たいへんめんぼくない。

Sちゃんにいちど突かれたあと、
シカが血を流しながらもまだ暴れているのを見て、
(正確に頸動脈を突くのは難しいです、初めてだと当然、特に)
「苦しみを長引かせるほうが酷」と、理由づけができて、
「やる」と心定めて、槍を迷いなく持てた。そして刺せた。
刺されたシカが「ヒィッ」って顔をしたけど、やめる気はなかった。
死ぬための短い苦しみならば、それは今、
私がこのシカに与えたいものだから。

でも、だいぶ弱ったものの、うまくいかなかった。
すまない、シカ。

最後に、Sさんが突いたのが、
だいぶ正しい場所に深く入って、
そのあと、シカは急速に弱っていった。

それからしばし、逆さに吊って
血抜きをしながら、絶命を待つ。
(頸動脈を切っただけでは、心臓は止まりません)

この待っている時間、ちょっと緊張が解けて、
意識が当事者から、観察者になった。

ばっちり両極端に振れた、自分の
「やらずに済む理由探し」と「やるべき理由探し」の心理。
なんだろう、これは。この感情は。
考えて、ここで、思いっきり気付いてしまった。

 「ほんとうは、積極的にいきものを殺したくなんて、ない」のだ。

おなかがすくから、生きるために襲うけれど。
私は肉がおいしいと感じるから、
肉になる工程ぜんぶを人任せにしてはいけないと思うけれど。

いきものを殺すことより、
助けることのほうが、ずっと、気持ちが楽なことだ。
いきものである以上、片方だけやっている訳にはいかないのに。

気付いたとき、不意にかなしくなった。
やったことには全く後悔はしていないけれど、
ひとつの事象として、シカが死んだこと、シカを殺したこと、
それはなんだか別問題として、かなしかった。
じわっと涙が出てきて、あわてて遠くを見るふりをした。

あとで、このことを振り返ったとき、
アラスカで、イヌイットのかたがたと暮らしを共にし、
親しくしていた動物カメラマン・星野道夫さんが
著作のなかで言っていた言葉を思い出した。


ーー 「私は自然保護とか動物愛護という言葉に魅かれたことはなかったが、狩猟民の持つ自然観の中に大切ななにかがあるような気がしていた。私たちが生きていくということは、誰を犠牲にして自分が生き延びるか、という日々の選択である。生命体の本質とは他者を殺して食べるということにあるからだ。それは近代社会が忘れていった血のにおいであり、悲しみという言葉に置き換えてもいい。その悲しみをストレートに受け止めなければならないのが狩猟民なのだ。人々は自らが殺した生き物たちの霊を慰め、再び戻ってきて犠牲になってくれることを祈る」
(『長い旅の途上』 星野道夫(文春文庫)より抜粋) ーー


ああ。かなしいと思っていて、ふつうなんだ。
たぶん、このかなしみを捨てたら、ただの残酷になる。
自分で殺しておいてそれをかなしむって、
ちょっとルール違反ではないか、と思ったけど、
これらは両立するのだ、と思った。



……脱線しました。
場面を、シカの絶命を待っているところに戻して。

ちなみに、子どもたちは血を流して倒れているシカを見ても
パニックなどもなく、あまり衝撃は受けていないように見えました。
「こういうもの」と思えたのかな……実感は遅れて来るのかな。
このへんはまた、親のおふたりに、訊ねてみようと思います。

そして、最後にすこし痙攣し、しばしして動かなくなったシカを、
「フネ」に乗せて、軽トラの荷台に乗せる。
そして、作業場へ移動。

足を縛って、フォークリフトにひっかけて、逆さに吊って。
お尻のほうから、おなかを開いて、内臓を出す。
のどを開いて、内臓につながる食道、気管も一続きに出す。

この日は雪がちらつく寒い天気で、
私たちの手も、シカの体のほうもだいぶ冷えていたけれど、
内臓を出すためにおなかの奥に手をつっこんだら、あったかかった。
むしろ、熱かった。
冷え切った日に熱いお風呂に手を突っ込んだような、
ビリビリするような熱さ。
そういえばシカの体温は42度くらいあるのだったっけ。

そして、さっき書いてたように、
いろいろ思索にふけっている部分もあったのだけど、
内臓が出て、レバーが見えたとき、
明らかにスイッチが「食欲」に切り替わった。
かなしみから、よろこびになった。なんて即物的な。
でも、これも多分、「両立する、相反する気持ち」だ。

この両方があるから、わたしたちは他者を狩って食って、生きていける。
殺すかなしみと、食うよろこび。
これは、たぶん、これでいいのだ、と思う。

「 殺すよろこび + 食うよろこび 」となるのは、
なんだか、筋が通って正しいようで、たぶん、間違っている。
同様に「 殺すかなしみ + 食うかなしみ 」も、
逆に、奪われるいのちに対して失礼な気がして、
だったら食べないほうがいいのでは、と言いたくなる。

内臓を出したあとは、このまま熟成用に吊っておくのかな……と思ったら、
「すぐのほうが、ほんとうは皮はむきやすい」とのことで、
むくところまでやることに。というか、解体までやることに。

つづきます。



肉を食べる | 19:01 | comments(0) | - | - |
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  • シカring
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